小説「やり直しパンパンパン」最終話

「人生、やり直したいと思ってませんか?」

そんな言葉と共に僕の前に現れた、一人の女。
彼女は僕を、一度だけ『人生でもっとも幸せだと感じた瞬間』に戻してくれることを約束する。

そしてそのためには、『合図』を決めなくてはならなかった…。
「僕」が決めた合図とは!?

  

今夜はセクシー心理学から、こんな話をお届けします。

前編はこちら。

◆ やり直しパンパンパン。最終話

「…で、合図、何にされますか?」

その質問に、僕はこう答えた。

「その、合図なんだけど」

僕は左右の手をたたき、「パン」という音を鳴らした。

「は?」

「こういう風に、手をたたくというのはどうかな?」

「手をたたく?」

「そうだな…。『パンパンパンと3回たたく』ということにしよう」

「パンパンパン、と…?」

「うん。ハッキリ決めるなら、『20秒以内に3回手をたたく』なんてどう?」

その言葉に、彼女は少し考えた。

「なるほど。それでしたら無意識にやってしまう可能性も減りますね」

「うん。それに、年老いても、可能な動作だろう?」

「確かに…。では、承りました。『20秒以内に、手をパンパンパンと3回たたく』。
以降、その合図を行い次第、当SFプロジェクトのメンバーが、責任をもって、
『人生の中で、もっとも幸せだと感じた瞬間』に戻させていただきます」

「あぁ…」

「それでは、そのやり直しまで、どうかごゆっくりとお過ごし下さい」

その言葉と共に、彼女は立ち去ろうとした。
 
「い、いや、ちょっと待って!」

「…何でしょう?」

「ちなみに、『SFプロジェクト』のSFって、何の略?」

すると彼女は、にこやかに言った。

「『せくし・ふしぎ』です」

「………」

「ちょっぴりセクシーに不思議な世界を作るという理念で作られました」

聞かなきゃ良かった、と思った。

◆ 

考えなければいけないことは、たくさんあった。

その合図を行って、今までで一番幸せだった瞬間である「小学生」に戻っても、今のままの体験や記憶しかなかったら、また同じように、むなしい転落人生を繰り返すだけだ。

もちろん今の大人としての知能があれば、小学生の中では成績はトップになれるだろう。
天才小学生と言われるかもしれない。

しかし数年くらいで、瞬時に周囲に追い越される自信がある。
マイナスの意味で自分を信じられる。

だからといって、今から勉強しておこうとも思わない。
だいたい、それができないから、今の自分がいるんだ。

それに「いい大学」や「いい会社」に入ったとしても、幸せになれるとは限らない。

それより、もっとラクなのがいい。

じゃあ、安直ではあるが、ギャンブルの結果を記憶する、というのは?

もちろん全部を記憶するのは不可能だ。
競馬なら、万馬券にしぼって記憶することにした。

しかし冷静に考えれば、小学生が馬券を買えるわけがない。

そして馬券を買える年齢になったら、結果なんてサッパリ忘れている自信がある。
戻ってすぐにメモしたとしても、瞬時に母親に捨てられるだろう。

小学生でもできるギャンブルといえば、宝くじしかない。

当時の一ヶ月のお小遣いが100円だったから、3ヶ月貯めれば、大当たりが買えるだろう。

…いや、でも。

その当たりくじが、小学生の行動範囲に売っていなかったら悲惨だ。

それに、もし買うことができて、さらに当たったとしても。
せいぜい手に入るのは1億円くらいだろう。

すなわち僕の新しい人生は、「1億円を手に入れただけの小学生」だ。

今と同じ年齢になったとき、金が残ってる保証はない。
特にうちの両親は「貯金してあげる」と、お年玉を懐に入れていたので、なおさらその金が残る可能性は低い。

それに…。「金」だけというのも、何か虚しい。
もっと、名声が欲しい。モテモテになりたい。

あぁ、だったら「発明家」はどうだろう。

今の特許などを記憶すれば、自分の手柄にすることができる。

いや、しかし。
何より仕組みが分からないから、再現できる自信がない。

じゃあ、「占い師」はどうだろう。

社会のできごとを記憶すれば、それを言い当てることができる。

いやでも、それも難しそうだ。
一人の小学生が何かを言っても、せいぜい友達が驚くだけだ。

「そんなの、オレも分かってたよ!」っていう小学生も必ずいる。

それにもし、万が一メジャーになれたとしても。

「すごい占い師がいる」ということがニュースになったら、それによって社会に影響を与えてしまう可能性だってある。
すると、そのあとの歴史と食い違う危険性だってあるだろう。

僕はそれから三日三晩、寝ないで考えた。

そして四日目の朝、ついに思いついたのだ。

なんだ。
もっとずっと、簡単な方法があったじゃないか。

「音楽」だ。

◆ 

世の中には、たくさんの曲がある。
そのメロディを忘れることは、ほぼ絶対にない。

たとえ小学生に戻ったとしても、そしてさらに何年もたったとしても、覚えて
いられるはずだ。

それを、本物より先に、発表してしまえばいいのだ。
たとえば今から10才ころに戻るのなら、10才から30才の今までの、20年間のヒッ
ト曲すべて、自分が「作曲」したことにできる。

音楽には普遍性があるはずだ。
特に発表する時期がほぼ一緒なら、ヒットしないわけがない。

楽譜はまったく書けないが、それは、できる人間に頼めばいいだろう。
僕は口で歌えば十分だ。

子供であったとしても、発表することは不可能ではないはずだ。

それがムリなら、20才くらいになって音楽事務所に就職したっていい。
そうなったとしても、残り10年間のヒット曲を、自分の手柄にできる。

作曲家の収入は、宝くじの比じゃないはずだ。
それに、歌手やタレントにモテモテだろう。

金も名声も異性も人気も、何だって手に入る。カンペキだ。

◆ 

そうなると、話は簡単だ。
もちろん今すぐに戻ってもいいが、そうすると、現在までの曲しか「作曲」できない。

やはりレパートリーは多い方がいいだろう。
だったら、やり直すのは、もっとずっと先でいいじゃないか。

それに、いい曲なら、老人になっても、そうそう忘れないだろう。
だったら、ギリギリまで粘って記憶しよう。

そのためには、とにかく生き続けていく必要がある。
再就職もしなければならないだろう。

あとは、死なないように人並みの生活をしながら、その時々に流れてくる流行の曲を聴くだけだ。
たまにカラオケで練習してもいいだろう。

唯一、不自由な点は、気軽に拍手をすることができないだけだ。
誰かとカラオケに行くときは、それだけ気を遣った。

もちろん、ただ漠然とヒット曲を覚えるために生きているだけじゃない。

横取りしている自分が言うのもなんだが、やり直して曲を発表したときに、誰かに手柄を横取りされたら、たまらない。
大切なのは、人を見抜く力を持つことだ。
そのためには、可能な限り多くの人間と接して、色々な体験をするしかない。

とにかく結論は、「やり直す前に、可能な限り長く生きること」になった。

◆ 

ただ、生活の中で、ときどき思った。
本当に、「やり直し」をしたあと「ヒット曲を発表」すれば、満足なんだろうか。

言うまでもない。
結局は、他人の作品を、盗んでいるだけだ。

社会全体には、何らプラスになっていない。
それどころか、僕が拙く再現することで原曲より劣ることだってありえる。

そうなると、僕の存在意義は、何なんだろう。

「やり直し」をしてまで、行うことなんだろうか。

答えは、出なかった。
でも、だったらどうせ、やり直すまでの一生で、その答えを見つけよう。

時間はたっぷりある。
ゆっくりと考えていけばいい。

◆ 

それからの生活自体は、今までと大きく変わるわけではなかった。

ただ、ほんのちょっとの「希望」ができた。
それだけで、毎日が少しずつ楽しくなってきた。

それに、仕事のミスや、人生での選択間違いがあったとしても、「どうせもう一度やり直せるんだから」と思うと、とても気が楽になった。

すると不思議と、今までできなかった、友達もできた。
恋人もでき、安定した関係が続いた。

それから、結婚もした。
子供も作った。

もちろん、生きている中で、迷うことや、後悔することもある。
しかしやはり、それだって「小さなこと」だ。

最終的にやり直せるのだから、今、考えてもしょうがない。

どうせ、いつでも戻れる。
ただ今回の一生は、色々なことを学んでおこう。

この考えは、僕の気持ちをとても軽くした。

それから、数十年が過ぎた。

◆ 

たった今、僕は病院のベッドで寝ている。

今の年齢は、71才だ。
胃の痛みで受診したはずなのに、気がつくとこうして入院していた。

体中が痛い。

おそらく、ガンだったんだろう。
誰もそう言わないが、自分は確信している。

何より、ベッドの周りにいる家族たちの眼差しが、僕の命があと少しで尽きようとしていることを教えている。

「………」

戻るなら、今しかない。

僕は手を持ち上げる。

よし、動く。

その手を振り上げ、力の限り、「パン!」と鳴らした。
家族たちの視線が、一斉にこちらに向く。

みんな、ありがとう。

一緒に過ごせて、本当に良かった。

僕は、これから過去に戻る。

僕はさらにもう一度、手を叩いた。

「パン!」

………。

待て。

もし、ここで戻ったら、子供たちはどうなるんだ。

…考えるまでもない。
消えてしまうんだろう。

そうだ。
子供たちも、そして…

「おじいちゃん? どうしたの?」

突然、僕の左手が、小さな手に包まれた。

「だいじょうぶー?」

4年前に生まれた、孫だった。
突然、手を叩きだした僕を心配したのだろうか。

その手を、離してくれ。

手を叩くことができない。

あと一回叩かないと、合図にならないんだ。

もう、息が苦しい。
ここで時間を逃すと、また最初から3回たたき直すチャンスは、ないかもしれない。

僕は、その手をふりほどこうとした。

しかし、どうしてもそれができない。
それをしたら、この子は、消える。

心配そうに僕のことを見つめる、その目。

僕の手のひらに、小さな指のぬくもりが伝わってきた。

心の中に、ぐっと熱い気持ちが湧き上がる。

 

「………!!」

僕は、そのときに、気がついた。

いま、もしここで3回目の「パン」をたたいても、おそらく「何も変わらない」のだ。

 

 

なぜなら、今までの人生で「もっとも幸せだと感じた瞬間」は…。

きっと、今に違いないのだから。

僕は、最後の「パン」のかわりに、ただギュッと、その小さな手を握りしめた。

(完)

 

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。