小説「胸をもむたびに、お金がもらえる仕事があればいいのに。~バスト・ワーク」まとめ版

「胸をもむたびに、お金がもらえる仕事があればいいのに。」 一本にまとめました。
 

◆ バスト・ワーク

僕の名前は、鈴木ケイ。
25才のフリーターだ。

大学を卒業してから、3年間。
ただ漠然と、色々なバイトをしてきた。

しかしどれも、長続きしない。

どの仕事も、合わないのだ。

ラクな仕事は、たいていが給料が安い。
逆に時給が高い仕事は、ほとんどがハードだ。

たまに、ハードな上に給料が安い仕事だってある。

それに、どれ一つとして、やりたい仕事ではなかった。

いったい僕にとって天職って、何なんだ?
どんな仕事だったら、自分の一生の仕事として、やっていけるんだ?

僕は、そんな疑問を常に抱えて生きてきた。

でも言うまでもなく、答えは見つからない。
そして同時に、新しい仕事も見つからなかった。

「今までのバイトは、どんなことを?」
「色々やりました」
「そうですか…」

色々やった、というのは、どれも継続できなかった、ということだ。

「じゃあ、結果はまた連絡しますので」

いくら待っても、連絡すら来なかった。

新しいバイトが見つからない時期が、3ヶ月続いた。

ついに所持金が、3000円を切った。

「ごめん、待った?」
「ううん…。大丈夫」

僕にも、彼女がいる。
名前は、原田マユ。

一つ前のファミレスのバイトで知り合った、大学生の女の子だ。

頭が良くて優しくて、僕が何を言っても、笑顔で返してくれる。
それに、僕が完全な無職になっても、付き合いを続けてくれている。
自分にとって、不釣り合いなほどに素敵なコだ。

「なんで…。僕とつきあってるの?」

一度、そう聞いたことがある。

すると彼女は笑って答えた。

「好きだから…じゃない?」

「…僕の、好きなところって…どんなところ? どこがいいの?」

自分で分からないところが問題だ。
しかしそれにも、彼女は笑顔で答えてくれた。

「子供っぽくて、純粋で、かわいいところかな」

「大人びたところがまったくない」ということを、裏返してすごく綺麗なオブラートで包むと、こうなるんじゃないか。
そう思ったが、悪い気はしなかった。

僕の金がまったくないことは、彼女も知っている。

デートも、ほとんどお金がかからない場所だ。
ファーストフードへ行き、公園を散歩し…。
そしてスーパーで食材を買って、僕の家で、料理をしてもらう。

ご飯を食べたあと…。
彼女は、必ず僕の家に泊まってくれる。

僕は、彼女の胸に触れる。

柔らかな感触が、僕の手に当たる。

「あっ…」

彼女が静かな声をあげる。

あぁ。
幸せだ…。
こんなに幸せな時間が、この世の中にあるんだろうか。

人生、これでいいじゃないか。
世界は、ここで完結してるんじゃないか。

僕はそんな気持ちを味わいながら、つい、こうつぶやいた。

「胸をもむたびに、お金がもらえる仕事があればいいのに。」

「…えっ…?」

僕の言葉に、彼女が反応する。

「え、どういうこと?」

問いかけられると困ってしまう。
自分自身、ほとんど無意識に出た言葉だった。

「い、いや、何でもない」

しかし彼女は笑いながら言う。

「胸をもむたびに…何て?」

隠せないようだ。
雰囲気にほだされるように、僕は言葉を続けた。

「い、いや…。こうして胸をもむたびに、お金をもらえる仕事があればいいのになぁ…って」

「は?」

「いや…。だからホラ、女の子…。いや、好きなコの胸をもむたびに、お金をもらえる仕事があればっていう」

バカか。

バカか、自分は。
いやしかし、男が1万人いたら、間違いなく9999人くらいは、これに同意してくれるんじゃないかと思う。

問題は、たとえそう思っても、口に出す男は一人もいないだろう、ということだ。

「………」

彼女は静かだ。

間違いなく、女の子が1万人いたら、9999人くらいが、引く言葉だろう。
自分自身、心からそう言い切れる。

じゃあ、何で言ったんだ。

それに自分は無職だ。シャレにならない。
本気でそう思ってる、どうしようもない男みたいじゃないか。

いや、本気で思ってはいるんだけども。

「そんなこと言ってるから無職なんだよ!」と言われたら返す言葉がない。

「…い、い、いやウソ! 冗談!」

僕は慌てて否定する。

すると。
彼女はしばらくの沈黙の後、笑い始めた。

「…くぷっ! くふふっ! あははっ!」

「えっ」

「あははははははっ! 面白ーい!」

「ま、マジで…?」

「ていうか、思っても、言っちゃうー?」

うん。
本当にそれは同感だ。

「なんでそんなこと、思いつくの?」

今、思いついたんじゃない。
たぶん、元から、ずっと思ってた。

植物が光合成をするように。
魚がエラ呼吸をするように。

生まれたときから、細胞に刻み込まれてる情報だったのかもしれない。

「いや…。い、今、急にね。あまりに幸せだったから」

とりあえずのフォローっぽいセリフを口にする。

「あははっ。本当ー? でも、仕事となると、お金を払う人がいるんだよね。私が払うの?」

「い、いや…。それは何か、違う気がする…。それって出張ホストみたいだよね…。それはなんか、違う…。サービスみたいだし…。ていうかそもそも、マユからお金なんてもらえないよ」

「じゃあ、誰が払うんだろう…?」

「………そうだなー…。どこかの大金持ちとか?」

「えっ。その大金持ちは、ケイが私の胸をもむと、何か嬉しいの? 何にたいする対価なわけ?」

「う、うーーーん…。何かもう、枯れたおじいさんなんだよ。若い人が仲睦まじくしているのを見て、喜びになるっていう」

「すっごいマニアだね…。ていうか、もしケイが大金持ちのおじいさんになったら、若い人のそれに、お金払う?」

「いや、自分でもむ」

「………」

「うん。嘘です」

「うん。だよね」

「………」

「でも、うーん。もしそういうおじいさんが本当にいたとしても、なんか、イヤだなー…。そのおじいさんが、私たちの今の行為を見てるってことなんでしょ? なんかそういうショーみたいじゃない」

「う、うーん…。じゃ、じゃあ、神様とか? 人生を楽しんでることのご褒美、みたいな」

「あははっ。セクシーな神様だね。ご褒美がお金ってのも生々しい」

「あ、あは…。そうかもね…」

自分の発想の貧困さに泣ける。
すると彼女は、静かに言った。

「うん。いいよ」

「えっ?」

「もしそれで、本当にお金が入って…。ケイの仕事になるんだったら…。ケイはずーーっと、続けられる?」

「は?」

「だから、それが仕事になるなら…。今までみたいに、途中でやめないで…。ずーーっと、続けられるの?」

「………も、もちろんだよ!」

「あはははっ。そうだよねー…」

「…あはは…」

「…だったら、いいよ」

「………は?」

「もし本当にそんな仕事だったら、何回でも、もんでいいよ」

「…ほ、本当に!? やったあ!」

「キャッ! あははっ! こ、こらっ!!」

嬉しかった。
バカップルと言われてもしょうがない。

もちろんこの話は、ただの冗談だ。
言うまでもなく、これでお金がもらえるわけがない。
僕が現実に、何らいい仕事を見つけたわけでもない。

しかしそれでも、なぜか嬉しかった。

ただでさえ持っている欲求にくわえて、彼女への愛おしさから…。

その晩、数え切れないくらい、もんだ。

気づくと、僕は眠っていた。
その、夢の中。

「おめでとうございます! お仕事、頑張ってくださいね!」

という言葉が聞こえた。

「…は…?」

僕は思わず聞き返す。
声は再び響く。

「乳社、おめでとうございます!」

………。
どんな夢だよ…。
僕はそうツッこんだ。
そのまま、再び意識が遠のいた。

次の日。

目覚めると、彼女はすでに家を出たあとだった。
「学校に行ってきます」
書き置きがあった。

そうだ。
彼女は僕と違って、行く場所がある。

お腹が減った。
僕はコンビニに向かおうとする。

しかし…。金がない。
しかたなく、銀行に向かった。

残りのお金が少ないことは十分に知っている。
ここ数ヶ月バイトはしていないから、減ることはあっても、増えることは絶対にない。

引き出せるのも、これで最後かもしれない。

僕はため息をつきながら、口座の額を見た。

5000円ほど、増えていた。

 


◆ バスト・ワーク 第2回

見間違いでは、ない。
間違いなく、5000円ほど、多い。

ここ最近バイトはしていないから、給料の振り込みなんて、ありえない。

「仕送りを求めるくらいなら家に帰る」という条件で上京してきたため、親からの振り込みということも、ないだろう。

そう考えると…。

本当だろうか。
あの晩、話した、冗談。

いや…。冗談ではなく、結構本気だったけども…。

あれが現実になったのか?

増えた額は、5000円…。

昨日、何回くらい、もんだだろう。

10回…?
いや、そんなモンじゃない…。
50回…? いや、それ以上…?

正確な数は覚えていない。

当然だ。

「今までもんだバストの回数を覚えているのか?」

そんな質問に、すぐに答えられる人間はいないだろう。
思い出すだけ無駄だ。

大急ぎで、僕はマユにメールをした。

「今日も…会える?」

「えっ? 本当?」

返信が来る。
二日連続で会うことはマレだったため、彼女は驚いた。
僕はメールを打つ。

「うん…。また、会いたくてさ」

「また、もみたくてさ」とは言えない。

彼女からメールが来た。

「うん、いいよ♪ 楽しみ」

楽しみなのは、僕の方だった。

◆ 

その晩は、ハッキリと数えた。

「35、36、37、38…」

「え? 何の回数?」

「………え、口に出してた?」

「うん…。かなりハッキリと」

「いや、実際、何回くらいもんでるのか、数えてみたかったんだ」

「数えてどうするの?」

「………」

「………」

「一説によると、成功者って、自分の行動のことごとくを記録する人が多いんだって」

「へぇ…。知らなかった。ちなみに胸をもむ回数の他に、何を記録してるの?」

「………」

「………」

「いや、胸だけ」

「だよね」

彼女はそう言いながらも、笑う。

「ふふっ…。面白いね。じゃあ、回数数えてみて。1万回くらいになったら、なんか記念品とか、出るのかな?」

「…あははっ。表彰されるかもしれないね。二人で」

「その表彰式は、ケイ一人で出てね」

彼女はにこやかに微笑む。
そんなやりとりを繰り返しながら、僕は数を数えた。

ちょうど、300回もんだ。

複雑な数だと忘れてしまうため、キリのいい数にしたのだ。

次の日に口座を確認する。

15000円、増えていた。

間違いない。
胸をもんだ数だけ、金が増えている。

僕は割り算をする。

15000÷300=50

そう。
すなわち、彼女の胸を1回もむごとに、50円が手に入るのだ。

まさに天にも昇る気持ちだった。

◆ 

それから、毎日のように、試してみた。

まず「片手でもむ」だけではカウントされないことが分かった。

右と左、両方もんではじめて、「1回」としてカウントされる。
両手で2倍、みたいなサービスはないようだ。

神様だけに、「右の胸をもんだら、左の胸ももみなさい」みたいな平和主義的な考えがあるのかは分からない。

もちろん、
右→左→右→左
と交互にもむのも効率が悪いので、両方同時にもむことにした。
まぁ、元からずっとそういうスタイルではあったのだが。

そして、回数。

「よっよっ…。よっよっ…」

普通にもんだ場合、だいたい1秒で2回くらい。
すなわち1分で、120回。

「よっよっよっ…。よっよっよっ…」

急いでもんだ場合、1秒で、3回だ。
同じく1分で180回。

しかしこの場合、1分で手がしびれてくる。
俗に言う「もみ疲れ」だ。
俗に言うのかは分からないけども。

マラソンと同じで、大急ぎは禁物ということが分かった。

すなわち無理ないペースで、1分に100回前後。

しかしこれですら、5分あたりが限界ということが判明した。

どんなにもむことが楽しくても、やはり筋肉疲労には勝てない。

特に指というのは、なかなか鍛えられる場所ではないようだ。

実際、指は腕などに比べて筋肉の繊維が細いため、鍛えづらい。
どんな格闘家だって、ボディビルダーだって、指をねじりあげられたら、なかなか抵抗できないはずだ。

そのため指だけで、長期間の運動を続けるのは、とても難しい。

また、自分のことだけを考えていられない。
彼女にも限界がある。

しばらくもむのに夢中で気づかなかったが、彼女の表情が少しだけ固くなっていたこともあった。

「…よっよっ…。………? あ、だ、大丈夫…?」

「う、ううん…。少しだけ…」

「少しだけ?」

「少しだけ…。い、痛いかな…」

そう言われたら、もちろんそれ以上、もむことはできない。

くわえて「もめる雰囲気」というものもある。

「待った?」

「ううん。大丈夫」

「そっか。じゃあ、もむね」

………。

ありえない。
さすがに会った直後は、なかなか雰囲気的にも気分的にも、もめないことが分かった。一度やってみたが、かなり気まずい空気が流れた。

当然だが、性的な色々の前後くらいが、もむのにふさわしい時間のようだ。

いずれにしても、以上から…。
だいたい、一度のデートで500回くらいが限界のようだ。

すなわち1日で25000円。

決して、悪いビジネスではない。

もし週休2日と考えたら、週に5日のお仕事。
すなわち月に20日くらい。

そう計算してみれば、月収50万円だ。
夢のようだ。

少しずつ収入を得ることで、東京で生活を続けることが可能になった。
これで実家に戻らなくて済む。

「今日は、僕がオゴるよ」

「…!? あ、ありがとう…」

そんな振る舞いもできるようになった。
彼女は驚きながら、僕に聞く。

「な、何か…。仕事を始めたの…?」

「あ、あぁ…」

「どんな仕事?」

「………」

もちろん、本当のことは言えない。

「そ、ソフト系の仕事かな?」

ウソはついていない。
胸はソフトだ。

「へぇっ! スゴいね! プログラマーみたいな?」

………。
プロ+グラマーという意味では、今の仕事と、当たらずとも遠からずな気がする。

「ま、まぁ…。そんな感じ…。」

「そっか、良かったぁ…!」

彼女は本当に嬉しそうだった。
僕もそれを見て、幸せだった。

大好きな女の子の胸をもむ。
そして、それがお金になる。
こんなに幸せでいいんだろうか。

しかし…。
それが机上の空論と気づいたのは、それから何千回ともんだ後のことだった。

◆ 

彼女の胸が、心なしか柔らかくなってきた。

もしかして。
もみ続けることで、脂肪組織が少しずつ柔らかく変化するのかもしれない。

最初にあった押し返すような感覚が、少しずつ減ってきた。

トランポリンというものがある。
その上なら、何十回飛んでも、そんなに疲れない。
しかし弾力がない床で何十回も跳ねるのは、結構大変だ。

押し返す弾力があるかないかで、もみやすさが大きく変わってくる。

それだけではない。
くわえて彼女の胸にも、少しずつ疲労が蓄積されてきたようだった。

「ごめん…。最近ちょっとだけ、痛いかな…」

「えっ…? まだ100回くらいだよ…?」

その言葉に、彼女はしばらく考え、言った。

「……………。なんか最近気づいたんだけど、回数にこだわってない…?」

「えっ!? い、いや…。そんなことは…」

「それにね…。な、なんか前と、触り方が違うっていうか…」

「え、えっ…?」

「前はもっと、ゆっくり優しかったのに…。最近は、ただ回数ばっかりにこだわってる感じがある…」

ギクリとした。
確かに無意識に、仕事であるかのような意識が生まれてきた。

そういえば。
昔、読みかじった、心理学の本に書いてあった。

子供たちに、ある工作をさせる。
そのとき、Aグループには、何もご褒美をあげない。
しかしBグループには、工作のご褒美として、ちょっとしたプレゼントをあげる。

もちろん、Bグループは、喜ぶ。

しかし、それからしばらく後。

ご褒美がなくなったあとも、工作を続けていたのは、圧倒的にAグループの子供だった。

そもそも楽しいものに、あえて「ご褒美」を与えてしまう…。
それによって、内面的な喜びが減ってしまったのだ。

「…そ、そんなこと、な、ないよ…」

僕はそう言うのが精一杯だった。

◆ 

それから、二人のあいだの空気が変わってきた。

なぜか、胸をもむことに、気まずさがある。
500回なんて、もちろん無理だ。

少しずつ…。少しずつ…。

せいぜい1回のデートで、10回くらいになってしまった。
すなわち、500円くらいだ。
たぶん、最低賃金を割っている。

それが態度にも出たのかもしれない。
さらに関係が悪化してきた。

あるとき、ついに彼女が言った。

「いったん…。離れてみようか…」

「……!!」

予想はしていた。
しかし…。

それでも、つらかった。

「その方が、いいよね…?」

彼女は僕の顔を見る。

ダメだ…!
このまま、彼女と離れたくない…!
僕は言う。

「い、いやだ…。別れたくない…」

その瞬間、彼女の顔が、少しだけ明るくなったように見えた。

「…どうして?」

その問いかけに。

思わず僕は、口にした。

 

 

「胸が………もめなくなる…」

 

 

言い終わったとき、彼女は、いなかった。

 

 

◆ バスト・ワーク 最終話

もう、彼女の胸が、もめなくなる。

そのことが、僕の気持ちに強くのしかかってきた。

そう…。
これは僕の、唯一の仕事だったのだ。

これでは僕は無収乳…。いや、無収入になってしまう。

もう、手はないのか。
僕は生きていくことはできないのか。

今さら、普通の仕事に就く…?

何の夢も、何の希望も、何の胸もない、仕事に就く…?

そんなことが、僕にできるのか?
正直、自信はない。

決心がつかないまま。
そして、何の収入もないまま、それから時間が過ぎた。

一度上げた生活レベルを落とすのは難しい。
1ヶ月もすると、僕の貯金は、再び底をついた。

◆ 

マズい。
このままだと、以前とまったく同じだ。

僕は必死に考える。

金。胸。金。胸。金。胸。

「ね」で韻を踏みながら、二つの言葉が頭を飛来する。

いや…。
本当に、手はないのだろうか。

胸をもめば、金が振り込まれる。

であれば…!

僕はひらめきを得る。

そして、すぐに自分の胸をもんだ。
迷いはない。
いや、ちょっとだけあったけども、覚悟を決めた。

自然に両手を当てるとなると、やはりクロスすることになる。
そのまま、何度も手を動かす。

「ふっ…。ふっ…。ふっ…。ふっ…」

人に見られたら間違いなく変態だ。
いや、誰に見られなくても変態だ。

考えないようにしながら、何度も何度も繰り返す。

20回ほどもんだところで、根を上げそうになった。

精神的なダメージはもちろんだが、肉体的な疲労感も強い。
もむ方の筋肉疲労とは比較にならない。

思えばマッサージですら、やり過ぎると「もみ返し」があるのだ。
凝ってもいない肉体部分を何度ももまれるのは、それ以上の苦痛に違いない。

そうか…。
彼女は、こんな気持ちだったのか。

今さらに気がつく。

自分で言うのもナンだが…。
もしかして、「好きな相手が喜んでくれている」ということで、肉体疲労のマイナスを補っていてくれていたのかもしれない。

結局その晩は、100回もんだところで、肉体・精神的にギブアップとなった。

次の日。
僕は再び銀行に走る。

100回なら、×50円で、5000円になるはずだ。

それなら、数日は大丈夫かもしれない。

しかし。

振り込みは、行われていなかった。

◆ 

自分でもむのは、ダメなのだろうか。
他人ではないと、お金が支払われないのだろうか。

そうなると、誰か揉ませてくれる人間を探す必要がある。

しかし街を歩いていきなり「もませてくれませんか?」では、即通報だろう。

となると、知り合いを当たるしかない。
しかし…。それでも、女の子はもちろん、男友達ですら断るだろう。

いや、間違いなく、男の方が危険かもしれない。

「あのさ…。胸、もませてくれるかな…?」

逆に自分が男に言われたら、瞬時に逃げる。

ダメだ。
袋小路に入ってしまった。

僕は考えながら、夜の繁華街を歩いていた。

◆ 

「お兄さん! 今日はお遊びの方、いかがですか!?」

客引きが声を掛けてくる。

「えっ…」

見ると、スーツ姿の茶髪の男性が立っていた。

「今日はたったの5000円!」

「い、いや…」

「何回もんでも5000円!」

「えっ……」

その言葉に少しだけ足が止まる。

「あ、興味あります? ホラ! こんなコもいるんですよ!」

すぐ横に、店の女性が立っている。
きらびやかな、露出の高いドレスを着て、胸元も大きく開いていた。

「ね? いかがですか?」

「う、うーん…。い、いや…」

そう思いながらも、僕は考えた。
こういう女性に、もませてもらえば…。

僕は瞬時に計算をする。

頑張れば、100回くらいもめるのだろうか。
そうなると5000円…?

いや、でもここの料金が5000円なら、プラマイ0に…。

じゃあ、頑張って200回もめば…。

い、いや。
いや、でも…。

必死に計算をしている僕の手に、突然にその女性の手が触れる。

「!?」

「うふふっ…」

そのまま僕の両手を握り、彼女自身の胸に当てた。

「えっ…!?」

そして、そのまま僕の両手を動かし、自分の胸を、もませた。

「ちょっ…!」

「あははっ。体験サービス♪」

彼女はにこやかに笑う。

1回、2回…。
ふわふわっと手が動かされる。

………そうだ。
これが、女性の胸だ。

やわらかく、あたたかく、僕の手で包み込みながらも、同時に包み込まれるような…。

そして、彼女の顔は…。

「………!」

「…? ほ、ほら、おにーさん! いかがですか? サービスまで受けたんですから!」

「あっ!?」

僕は次の瞬間、走りだしていた。

違う。

違ったんだ。

◆ 

次の日、銀行の口座を見る。
残額は、まったく変化していなかった。

そうだ。
今やっと、気づいた。

最初の晩。
僕がマユとかわした会話を、思い出した。

「でも仕事となると、お金を払う人がいるんだよね。誰が払うんだろう…?」

「神様とか? 人生を楽しんでることのご褒美、みたいな」

そうだ。
「楽しんでる」ことが、大前提だった。

驚くほどシンプルだ。

胸をもみ、そして楽しみ、喜び…。
僕自身が、幸せを感じる。

そこに、収入が発生していた。

じゃあ僕は…。
自分で、自分の胸を触って、幸せだったか?

ノーだ。

お店のお姉さんの胸をもんで、幸せだったか?

ノーだ…とは完全に言い切れない。

でも。
足りないものが、あった。

◆ 

僕は、ただ胸があったから良かったんじゃ、なかったんだ。

彼女の笑顔。
あたたかな表情。

それを見ながら触る胸だからこそ、幸せを感じることができたんだ。

胸だけを見て、そこをハッキリと認識していなかった。

忘れていた。
そのときはいつも、彼女が、にこやかに微笑んでいてくれたことを。
ただ静かに、そこにいてくれたことを。

それがあってはじめて、僕は安らぎながら、胸を触ることができたんだ。

◆ 

僕は、それから仕事を始めた。
小さな製造会社だ。

給料は安いし、仕事も大変だ。
やりたかった仕事というわけでもない。

でも…。
それはもう、関係なかった。

合ってる、合ってないなんて、どうでもいいんだ。

どんな仕事でもいい。
ただ始め、進み続けることが大切なんだ。
その中で、色々と見つかるものもあるだろう。

仕事をし、お金を稼ぎ…。
そして何より僕が、一人の人間として自立する。
そして彼女のことを守れる人間になる。

その上で…。
彼女の笑顔を見ながら…。

◆ 

それから、一年後。
僕はマユを呼び出した。

来てくれないかもしれない…。
僕は不安に思う。

しかし。
彼女は、その場に現れた。

僕は思わず言う。

「ひ、久しぶり…」

「………」

彼女は答えない。

「あ、あ…」

僕は言葉を絞り出す。

「あ…。あのときは、本当にごめん…」

「………」

マユはただ僕のことを見つめる。

「あれから、仕事を見つけたんだ…。小さな会社だけど…。うまく…続いてる…」

「えっ…」

「………。今はまだ何もできないけど…。もっと仕事を覚えて…。もっと頑張って行こうと思う…。そうしなきゃ…。いや、そうしたいんだ…」

「そうしたい…?」

「………」

「………」

しばらくの沈黙が走る。

言わないと。
この言葉だけは、言わなければいけない。

「僕は、一番大切なことが何か、分かったんだ」

「えっ…」

「ぼ、僕は…。君ともう一度、一緒に過ごしたい」

「………!?」

彼女が声を出す。
僕の気持ちが止まらない。

「そ、そして…。もし、もし、かなうなら…」

「………」

断られても、バカにされてもいい。
ただ僕の気持ちを伝えたかった。

「僕は…僕は…」

「………」

 

 

 

「君の笑顔を見ながら、胸をもみたい」

◆ 

「それでは、振り込みは1回50円でよろしいでしょうか?」

「あぁ…。こちらが払う額は、その100倍と聞いたらね…。『彼』のその行為のために、こっちは1回5000円払うわけか」

「いかにお仕事で頑張ってこられても、大変な額になるかもしれませんね」

「高いな…」

「いえいえ。インフレによる貨幣価値の変化、また過去に振り込みを行うという技術料、そのほか手数料もろもろがありますので」

「…分かった」

「ふふっ…。でも、信じていただけるとは思いませんでした。みなさま信用してくれませんもの。『過去の自分への振り込みサービス』なんて」

黒い服に身を包んだ女は笑う。

「………思い当たることが、あるからかな」

「ふふふっ…。みなさん忘れてしまうんですよ。未来の自分から受けた恩なんて」

「私にとっては、それだけ強烈だったからな…。ちなみにその振り込むタイミングなんだが…」

「はい。それはみなさま共通。申し上げた通り、過去に『もっとも幸せを感じたとき』とさせていただいてます。その幸せになった行為の回数に応じて、一回ごとに分割した金額をお支払いさせていただきます」

「あぁ…」

「成功された方ほど、若いころに不遇の時代を送っていることが多いものです。そんなときに、ちょっとだけ幸せを後押ししてあげることで、その時代につぶれてしまうのを避ける効果もありますから」

「………」

「…まぁ、時に金銭のせいで、人生に影響を及ぼす恐れもありますが…。それでも最終的には、みなさま満足した人生を送ることができるようです」

「…あぁ…。確かにその通りだった」
 
「ふふ…。ちなみにその『幸せな行為』は、お客様の場合、ご一緒になる前の彼女の胸を…」

「あぁ、言わないでいい」

「……ふふっ……」

女は僕の顔を見て、静かに笑う。

「それでは…。今回はご利用、まことにありがとうございました」

 

その日の夜。
彼女は、笑いながら言う。

「ちょっと…。もう、いい加減にしてくださいな…。私たち、いくつだと思ってるんですか…?」

「いやいや、年は関係ないだろ? そこに君の胸がある限り」

「もうっ…」

「それに今日は、やっと肩の荷がおりた気分なんだ。記念だよ、記念!」

「き、記念って…。毎日、なんかの名目つけて…! あ、ちょ、こらっ!」

 

マユは、笑ってくれる。

僕のプロポーズへの返事をしてくれたときと、まったく同じ表情で。

僕はそれを見ながら、また、胸をもんだ。

(完)

ここまでおつきあいいただき、本当にありがとうございました。