●●なときは、写真を撮れ。~人間の記憶

最近、秋葉原で通り魔事件がありました。
その時間はクリニックで診察していたので無事だったのですが。

その夜、こんなブログコメントをいただきました。

今夜は、あなたの記憶が信じられなくなる話をお届けします。

 

秋葉原の事件の夜、こんなブログコメントをいただきました。

 

「秋葉原だけに、ゆうきゆうがいたんじゃないか、と心配した!」

う、うわぁ!
心配されてる!

すみません! ありがとうございます~!

すると次の日、別の方から、メールでもいただきました。

「秋葉原だけに、巻き込まれてないかと…」

…う、うわー! すみません! 嬉しいです。

またその夜、友達から電話が来ました。

「秋葉原だけに、お前も事件にあったんじゃないかと思った!」

………あ、ありがとう!

さらにそのあと、近所のおばさんに言われました。

「秋葉原だけに、あなたが巻き込まれたんじゃないかと」

 

そんなに僕、イコール秋葉原ですか。

心配うんぬん以上に、秋葉原というと僕がイメージ、みたいな状況が切なかったです。

嬉しさと切なさと心弱さを感じつつも、今夜もメルマガから、セクシー心理学の世界をお届けいたします。

 

◆ 後悔した、そんなときに。

「今の自分、これでいいんだろうか…」
「あのときの選択、間違ってなかっただろうか…」

あなたは今までに、そんな風に思うこと、ありませんでしたでしょうか。

今夜はそんなあなたにお送りする、速効のテクニックです。

◆ ナイフを持っていたのは…?

さて、冒頭でも触れた、秋葉原での通り魔事件。

これ以後、警察の警備がかなり強化されていて、アキバ的男性たちが、職務質
問や所持品検査をされているそうです。

そして、たまたまナイフを所持していた男性が、警官十人以上に囲まれたとか。

うん。
まぁ、あの事件のあとにあえてナイフを持ち歩くのもスゴイと思うんですが。

さて、実はこれに関連して、こんな実験があります。

実験者は、100人以上の白人学生たちに、
「白人がナイフを持って黒人と口論している絵」
を見せました。

そしてそのあとに、その絵を隠して、

「ナイフを持っていたのは、誰ですか?」と聞きました。

その結果、大半の学生が、「黒人の方です」と答えたのです。

すなわち、「白人がケンカでそんなのを持つわけがない!」という思いこみから
記憶がすり替わったわけです。

人間は実際に「見た」ものであっても、こんなに簡単に、記憶をねじ曲げてし
まうわけです。

うん。
そう考えると、実は一般的な歩行者がナイフを持っていたとしても、警察官が
「アキバ系の男が持ってるに違いない!」と思い込む可能性も0ではない気が
します。

うん。
0ですね。

いずれにしても、とにかく「人の記憶は、思いこみによって簡単に変わる」と
いうのが、今回の重要なポイントです。

◆ 記憶は、塗り変わる。

そして、これは実生活でも同じ。

あなたが「見た」風景や「体験した」記憶であったとしても。

いつの間にか、それは新しい感情などによって、勝手に上書きされてしまうも
の。

たとえば、あるときに、大好きな相手と恋愛をしたとします。

でも、その相手とうまく行かなくなってしまいました。

そんなときに、相手へのイヤな気持ちから、

「この相手とのすべてが無意味だった」
「この人、最初からイヤだったかも…」

というように、過去の記憶が勝手に変わってしまうこともありえるわけです。

これは仕事や生活、すべてにおいて言えます。

どんなに楽しくて幸せな記憶があったとしても。
その「続き」である現在の感情が悪くなっていたら、その記憶は、あとから勝
手に塗り替えられてしまうのです。

すると、あとはもう簡単。

「そういえばあのときも…」
「この選択肢は失敗だった…。だってあのときも…」
「実はもとから最悪だった…」

というように、後悔という坂を転げ落ちてしまいます。

その先に待っているのは「終わり」だけです。

それを避けるためには、「記憶の塗り替えに負けず、明確に思い出す」しかあ
りません。

実際にアメリカの心理学者であるエシッグは、
「気持ちを明るく持ち続けるためには、楽しかったときの記憶を鮮明に思い出
すことが大切」
と述べています。

では、どうやれば、そんなに明確に思い出せるのでしょうか。

実はそのためのアイテムは、たった一つ。

「写真」です。

具体的には、楽しかったときの写真や、大好きだった人の写真です。

後悔しかけたときは、過去の写真を引っ張り出してみること。
自分の写真、相手の写真、友達たちの写真など、楽しかったものなら、何でも
構いません。

明確に「写真」として目にすれば、そのときの自分や相手、さらに状況を、鮮
明に思い出せるはず。

さらに写真を目の前にすれば、その記憶を悪く塗り替えようがありません。

◆ この先のために、写真を撮ろう。

逆に、これから先。

楽しい、と思うことがあったら、必ずそのときの自分を写真に撮っておくこと。

可能なら、表情は笑顔です。

それを見れば、いつか疲れたときに、

「そのときの自分は、楽しんでいた」

と思い出すことができます。

特に疲れたときは、「今までの自分もぜんぜん面白いことがなかった」と思っ
てしまうものですので、その思考を止めることができます。

授業の内容を、ノートに取るのと同じ。
人は形にしないと、忘れてしまうんです。

◆ 写真が撮れないなら…?

これは、好きな相手や、仕事についても同じです。

楽しかったとき、幸せを感じた瞬間。
必ず写真を撮っておくこと。

今の相手がネガティブに思えてきたとしても、写真さえ見れば、幸せな記憶を
明確に思い出せるはず。

そうすれば、過去の記憶すべてまで悪く塗り替えられることはなくなるはずで
す。

もちろん写真がダメなら、日記でも構いません。

とにかく「記憶」というあいまいなものではなく、「明確な形」として、幸せ
を残しておくことが大切なのです。

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◆ 今回のまとめ。
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○ 人間の記憶は、ビックリするほど、当てにならない。

○ どんな楽しかった記憶ですらも、マイナスの感情の中にいたら、悪く塗り
替えてしまうことがある。

○ それを防ぐためには、「写真」や「日記」を残しておくこと。

○ 「覚えた」という言葉でボヤかすのは、ダメ。

 

◆ さいごに。

というわけで、写真と記憶の話、いかがでしたでしょうか。

もう一度、幸せだったときの写真や、日記を見てください。

証拠と共に、大好きだった相手や、楽しかった記憶を、思い出してください。

 

そのときのあなたは、何も考えていなかったわけじゃ、ないんです。
漠然と、ひとつひとつの選択をしたわけでも、なかったんです。

精一杯喜び、色々なことを感じながら。
ただ今のあなたと同じように、一生懸命考え、その日を必死に生きていたんで
す。

だから、そんなに後悔する必要、ないんですよ。

(完)

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。