生きていさえ、すればいいのよ。
あなたは、何かを書いたことがありますか。
そして、ネタ切れになったことは、ありますか。
今夜は「ネタ切れ」について話します。
こんばんは。ゆうきゆうです。
今夜もセクシー心理学から、こんな話をお届けします。
◆ ヴィヨンの妻の言葉。
あなたは、「ヴィヨンの妻」という小説をご存じでしょうか。
かの太宰治が書いた話で、つい最近、映画化もされたんですが。
ひと言で言うと、「とっても苦労した奥さんの話」です。
本当にひと言ですみません。
で、彼女がものすごく大変な目(映画ではちょっとソフト描写にはなっているんですが)にあって、そのラストで、夫にたいして、こう言うのです。
「私たちは、生きていさえすればいいのよ。」
色々と苦労した妻が言うからこそ伝わる、重みがあるセリフです。
………。
まぁ、この本を書いた一年後に、太宰治は自殺しちゃうんですけども。
生きていさえしないんですけども。
とはいえ、だからこそ発した、魂の叫びだったのかもしれません。
いずれにしても、この「生きていさえすればいい」というのは、非常に深く、趣深い言葉だと思います。
◆ 切れないネタなんて…。
ここで、僕の最近の体験談とか、させていただいてもよろしいでしょうか。
僕、よく色々な人のブログやウェブ小説などを読むんですが。
そこでときどき、こんなコメントが書き込まれることがあります。
「ネタ切れですか?」
「ネタがなくなってしまったのでしょうか…?」
幸か不幸か、僕自身は、そういわれることはあまりないんですが。
ただ、ちょっと、どうしてもガマンできないので、ここで言わせてください。
「ネタ切れ」!?
「ネタがなくなった」!?
………。
あのですね。
僕がこのセクシー心理学やサイトを書き始めてから、約10年近く続けているわけですが。
最初に持ってたネタなんて、開始から数ヶ月で尽きてます。
カラッカラです。
すなわちその状態で、残りの9年くらい、やってきました。
いえ、誤解しないでください。
残りカスだけ提供してきたとか、だからバストネタばっかりとか、そういうコ
トを言いたいわけではありません。
ネタは、家の貯水タンクに、ずっとたまっている水のようなものではありません。
僕はネタというのは、「海の水をすくってくる作業」だと思っています。
頑張ってすくって、「これだけ貯めた!」と思っても、数日で飲みきってしまいます。もしくは蒸発してしまいます。
だからこそ、常に海に行き、常にすくって、常に新鮮なまま提供し続けないといけないのです。
よく「小説家になりたい」「作家になりたい」「文を書く仕事をしたい」という人がいます。
たいてい「色々と書きたいことがある」「ネタはいっぱいある」と言います。
しかし。
実際に始めてみると、その「豊富な持ちネタ」は、数ヶ月で尽きます。本当に。
書き始めることによって、「ネタが思ったほど面白くない」とか「書くほどのものではなかった」なども分かってきて、想像よりずっと早くなくなるのです。
あとはもう、ただひたすら、「現場でネタを探し続けないといけない」のです。
よく漫画家さんが、「ネタが出ない!」と苦しむシーンがありますが、あれはもう、事実です。
最初に持っていたネタだけで生きていくことはできないのです。
すなわち、
「ネタ切れ?」
「ネタがなくなった?」
という人は、間違いなくモノを作ったことがない人です。
最初に持っていたネタが尽きたとき…。
そこで人間が取れる手段は、二つだけです。
「やめる」か「ただひたすら、探し続け、作り続ける」か。
多くの人が、前者を選びます。
「見ている人の反応がなくなったから」
「他にやりたいことができたから」
「忙しくなったから」
そんな理由を、色々とつけることもあるでしょう。
しかし本当の理由はすべて、シンプルです。
「ネタを探すことを放棄したから」。
ただそれだけなのです。
「継続は力なり」と言います。
続けることは、何よりも力がいることで、何よりも大変で、そして同時に、何よりも素晴らしいことなのです。
◆ 生きることは、続けること。
「生きていさえすればいいのよ」。
この「生きていさえすればいい」というのは、何かを始めた人にとっては、「続けていさえすればいい」のと同じ意味です。
「何かを始める!」と思ったのにも関わらず、それを「やめる」ことこそが、「死ぬ」ことなのです。
続けてさえ、いればいいんです。
確かにハタから見て、つまらなくなってくる小説もあるでしょう。
ダラダラした展開になるマンガもあるでしょう。
しかし僕は、それでも継続することにこそ、意味があると思います。
それを見て、
「つまらなくなって続けてもしょうがないのに…」
「早くやめちゃえばいいのに」
と言う人は、くどいですが、何も作ったことがない人、もしくは作ったとしても、すぐにやめてしまう人です。
バカにされても。
潔くないと言われても。
どんなことを言われたとしても、ただ続ける。
それこそが、何よりも重要なことなのです。
◆ 宮刑を選んでも。
あなたは、司馬遷という人物をご存じでしょうか。
中国で、「史記」という歴史書を記した偉人です。
日本の作家に「司馬遼太郎」という人物がいますが、「司馬遷に遼(はるか)に及ばない」という由来のペンネームなのだそうです。謙虚です。
個人的に、グラビアタレントの「森下千里」は、美脚で売ってた「森高千里」の「はるか下である」という謙虚な名前なのではないかと思うんですが、それはまったく別の話です。
話を戻して、その司馬遷。
彼は皇帝の怒りを買って、「宮刑」か「死刑」のどちらかを選べ、と言われました。
宮刑というのは、ひと言で言うと、「男性でなくさせる」刑罰です。興味ある方は調べてください。
言うまでもなく大変な不名誉で、皇帝はそれを提案しつつも、「100%間違いなく死刑を選ぶだろう」と考えていました。
しかし司馬遷は、「史記」を完成させるために、あえて宮刑を選びました。
想像を絶する痛み、屈辱、悲しみ、怒り…。
それを乗り越えても、生き、史記を書き続けることを選んだのです。
繰り返します。
どんな姿になっても、たとえ生き恥をさらしても、一度決めたことを「続ける」。
それは言い訳をして、そのことをやめたりする人間より、数億倍も立派なことなのです。
◆ 疲れたなら、休んでもいい。でも…。
でも。
もちろん時には、どうしても疲れてしまうこともあるでしょう。
そんなときは、確かに引くことも勇気です。
計画を止める。
仕事を休む。
誰かと別れる…。
しかし。
それも含めて、あなたが生きることを「続ける」ことです。
計画はやめたが、今回のことを糧として、また新しい計画を立ててやる!
今は休んでいるが、必ずきっと戻る! そのために勉強だけでも続けてやる!
あの人と別れてしまったが、でも情熱的な恋愛をしたい! だから他の人をまた今日も探そう!
それは広い意味で、あなたが「生き続けること」になります。
結局大切なのは、「今日、いまだにその気持ちを持って、行動しているかどうか」だけなのです。
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◆ 今回のまとめ。
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○ 生きていさえ、すればいい。
言い訳をしてやめるのは簡単です。
ネタがなくなったなんて、当たり前のことです。
方法が見つからないなんてのも、当然のことなのです。
だからこそ、探してください。
だからこそ、掘り起こしてください。
どんなに小さなものに見えても構いません。
くだらないものでもいいのです。
生きてさえ、すればいい。
続けてさえ、すればいいんですよ。
(完)
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
ちなみに僕はいつの間にかバストネタで筆が踊ることが分かったので、何て言われようとも継続しています。しばらくは。
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