心理学ストーリー「五感の質屋」第二回

「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。どれを質入れしてくださいますか?」

女は聞く。私は、もう一度考えた。
やはり普通に考えて、まずは「●覚」か「●覚」だろう…。

あなたなら、どの感覚を「捨て」ますか?
 

こんばんは。ゆうきゆうです。

というわけで、メルマガ「セクシー心理学」から、「五感の質屋」。第二回をお届けいたします。

 

(前回のあらすじ)→詳しくはこちら

私の娘は、治療法のない病気にかかった。
生きていられるのは、あと1年もない。

そんなとき私は、「五感の質屋」に入った。

店主である女は、

「五感のうち一つを質に入れることで、娘の寿命を5年延ばせる」と話す。

私はそれを承諾した。

私が一番に捨てる感覚とは?

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◆ 五感の質屋 第二回
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「視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。どれを質入れしてくださいますか?」

女は聞く。
私は、もう一度考えた。

やはり普通に考えて、まずは「嗅覚」か「味覚」だろう。

もちろんこれらを失うことは痛手だ。
しかし他の3つに比べたら、日常生活での支障は比べものにならない。

嗅覚や味覚がなくても、困るのは食事のときや、何かのニオイをかいだときくらいだろう。
そのときだけ耐えれば、どうとでもなる。

しかし他の感覚がなかったら、24時間にわたって不便に悩まされることになる。
常に人は何かを見ているし、音を聞いている。また衣服でも床でも、必ず何かに触れている。
この感覚がなくなるというのは、かなりの痛手だ。

また視覚・聴覚・触覚ともに、「コミュニケーションの手段になりえる」ということも重要だ。

聴覚があれば、声が聞こえる。
視覚があれば、筆談ができる。
触覚があれば、手に文字を書いてもらって理解もできるだろう。

しかし嗅覚・味覚でコミュニケーションをすることは不可能だ。

もちろん、誰かに何かを嗅がせたり、味わわせたりして、
「塩味がピリッと強ければ怒ってる」
「カレーのにおいは嬉しいサイン」
などと決めることもできるが、さすがに現実的ではないだろう。

いずれにしても、コミュニケーションができる手段は残しておきたいと思うのが当然だ。

となると、まずは「嗅覚」か「味覚」になる。

では、どちらの感覚にするべきか。
嗅覚と味覚、どちらなら失っても構わないか。

ここで私は、ある事実を思い出した。

「味覚」は、「嗅覚なくしては成り立たない」のだ。

カゼで鼻が詰まっていると、食欲は落ちる。
それは、「ニオイ」まで含めて「おいしさ」を感じるからだ。

すなわち、「嗅覚を失って、味覚だけ残しても、結局は味覚そのものまで障害を受ける」のだ。

だったら、味覚だけ失った方が、まだマシだ。

もちろんこれは絶対的な真実ではないかもしれない。
しかし、少なくとも私には、それが正解であると思えた。

私はそこまで考えてから、言った。

「味覚で頼む」

女は私の思考を読み取るかのように、静かに微笑みながら言った。

「承りました。味覚でございますね」

「あぁ。そしてその代わり、私の娘の寿命を延ばしてほしい」

「もちろんでございます。ご息女さまのご寿命、確かに5年、延ばさせていただきます」

「………」

「またご利用のときは、お越し下さい」

なるべくなら、もう二度と利用しないで済みたい。
私はそう思いながら、その質屋を後にした。

◆ 

しばらくして、娘は退院した。
医師によると「病気の進行が、ストップしている」のだそうだ。

完治といえるわけではないが、病状に変化がないため、
「もしまた症状が進行するようなら、もう一度来てほしい」
と言われ、いったん退院となったのだ。

娘は今までとまったく変わらない生活をし、成長していった。

娘は、病気のことは知らない。
ただ「ちょっと具合が悪くなったから入院した」としか考えていない。

それでいい。
娘が苦しむ必要はない。

苦しむのは、私だけでいいんだ。

◆ 

しかし私には、予想外のことがあった。

味覚を失うこと。
それは想像より、ずっと苦痛だった。

何を食べても、味のない粘土を噛んでいるような気分になる。
そのため、食事のときの喜びが0になる。

くわえて腐った食べ物であるか分からないため、不安ばかりが強くなる。

すると、食事そのものが、苦痛でしかない。

そんなときは、娘を見ることにした。
病気のこともなかったかのように、毎日すくすくと育っていく娘。

それを見ていると、その苦痛を忘れられた。

◆ 

娘の病気の治療法が開発されたかどうか。
私は毎日のように、医師に電話をして聞いた。

しかし答えは、いつも「NO」だった。

いつしか私は、病気のことを忘れていった。

娘は、治っているんじゃないか?
タイムリミットなんて、ないんじゃないか?

少しずつ、そう考え始めていた。

◆ 

それが甘いことを感じたのは、娘の15才の誕生日だった。
娘は前とまったく同じように、腹部をおさえて苦しみだした。

「お父さん…。痛いよ…。痛いよぅ…」

その言葉や表情が、私の心を、再び「現実」に引き戻した。

もう、選択肢はなかった。

毒を食らわば皿までだ。

私は再び、その質屋に向かった。

◆ 

「あら、お客様。ご無沙汰しておりました」

女のビジュアルは、あのときとまったく変化がなかった。
いや、黒い衣服、髪、そして目は、さらに深い黒さを増していたように見えた。

「…また、質入れされますか?」

女がそう聞く。
前の思考の流れから、次に失う感覚なら、一つしかない。

「嗅覚で頼む」

女は、静かに微笑む。

「…承りました。ではお望みの方の寿命、さらに5年、延ばさせていただきます」

◆ 

娘はまた元通りの生活に戻った。
これで娘の寿命は、20才まで延びた。

もうこれ以上延ばすことは、簡単にはできない。

残る、3つの感覚。
視覚、聴覚、触覚とも、安易には失えない。

今からの5年で治療法が開発されなかったら、どうなるのだろう?

暗闇か。無音か。無触覚か。
どれかを選ばなければならない。

最初の二つのように、すぐに選べるものではない。

その5年は、娘にとっても、私にとっても、重大なタイムリミットだった。

◆ 

においのない世界は、想像以上につらかった。

「アロマセラピー」というものがある。
人間に香りをかがせることによって、気持ちを落ち着けたりする治療法だ。

それに限らず、人間はニオイを嗅ぐことによって、安心や快感を得たりする。

綺麗な話ではないが、時に脚のニオイや、ワキのニオイを嗅ぎたくなってしまうことだってあるだろう。
臭い香りであっても、人はニオイの刺激によって、安心するのだ。

さらに異性の香り、またシャンプーや香水の香りによって、気持ちが高まることだってあるだろう。

これらの働きが、まったくなくなるのだ。

毎日の生活にたいする刺激や喜びが、少しずつ失われて来るように感じる。
私は、聴覚があるにも関わらず、「世界から、音が一つ消えた」と感じた。

◆ 

娘の治療法は、いくら待とうとも、開発されなかった。

味と香りのない生活のつらさとあいまって、イライラすることが増えた。

また娘も、18・19になるにつれて、少しずつ私にたいして反抗しはじめた。
お互いにストレスを抱え、口論になることも、少なくなかった。

そのたびごとに、娘にたいして、言いようのない怒りを感じ始めた。

私は。
私は、誰のためにこんなに大変な思いをしていると思っているんだ。
私がどれだけ自分を犠牲にしていると思っているんだ。

すべて、お前のためじゃないのか!?

自分の献身的な行動が受け入れられないほど、つらいことはない。

私の人生そのものが、まったく意味のないもののように思えた。

もしこのまま治療法が発見されず、20才の誕生日を迎えたら。
また私は、さらに自分を犠牲にして、娘の命を延ばすことができるのか?

自信をもって、その問いかけに答えることができなかった。

私はワラにもすがる思いで、医師に電話をし続けた。
医師は言う。

「まだ見つかりません。しかしあと少しで…。必ず開発できるはずなんです」

「あと、どのくらいで?」

私の質問に、医師は答えた。

「…あと、10年弱の間には…」

それは、さらに二つの感覚を失うことを意味していた。

◆ 

娘の20才の誕生日を間近に控えた日、私は決心した。

もう、すべてを話そう。
どれだけ私が頑張ってきたかを。

そして、もうこれ以上続けることはできない、ということを。

娘もまもなく、20才になるだろう。
人生として、十分に味わったじゃないか。
もう、いいじゃないか。

これが、運命なんだ。

私は自分に言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返した。

「話がある」

私は娘を呼ぶ。
そのときだった。
娘は、こう言った。

「あ、あのね、私の話から、先に聞いてくれる?」

何だろう。
私は不思議に思いながら、話を聞く。

「あのね…」

娘は、しばらく言うのをためらいながらも、口を開いた。
恥じらいながらも、とても幸せそうな顔で、こう言った。

 

 
「お父さんに、会ってほしい人ができたの」

 

◆ 

「…いらっしゃると思っておりました」

質屋の女は、あいかわらずの姿で、そこにいた。
私は彼女の顔を見るやいなや、思いの丈を叫んだ。

「娘を…。娘を幸せにしてやりたい…!
たとえ30才までだって、構わない…!
好きな男と結婚し、幸せに過ごす。
最後にそれくらい、味わう時間を、作ってやりたいんだ…!」

私は、娘に妻の姿を重ねていた。

同じ病気のせいで、妻は娘を産んで、すぐに死んだ。
私はおそらく、妻を幸せにしてやれなかった。

だからこそ、せめて娘を幸せにしてやりたい。

そのことに、今気がついたのだ。

女はそれを聞き、静かにうなずいた。

「それでは…」

「あと二つ。最大まで質入れさせてほしい」

結婚をするのなら、生活の心配はないだろう。
たとえ私がどうなろうとも、娘そのものは生きていくことはできるはずだ。

「承りました。視覚、聴覚、触覚のうち、どの感覚を質入れ…。いえ…」

女は息を吸い、言い直した。

「どの感覚を、残されますか?」

 

答えは、決まっていた。

(つづく)

最終話をお待ちください。

そして前回へのコメント、本当にありがとうございました!
それぞれステキな分析が。ありがとうございます。
自分の考えに非常に近いもの、また想像もつかなかった答えまで…。面白かったです。

どれが正解とかではないのでご安心ください。一つ一つ楽しく読ませていただきました!

ちなみに面白かった案からの展開を。

 

「第六感を、買い取れるだけ、買い取らせてほしい」

私は女に言った。
第六感が10円なら、逆に買い取ってしまえばいいのだ。

 
女はしばらく考えた後、疲れたように口を開いた。

「……いくつくらい、お買い取りになりますか?」

「1000個くらい」

「では、10000円で結構です」

完璧だ。
第六感が1000個。恐るべき的中率のカンになるはずだ。
これでギャンブルを行えば、巨万の富が手に入る。
さらに恐るべきカンで、娘の治療法だって見つけられるかもしれない…!

私は手始めに、大急ぎで、競馬場に向かった。

 

数時間後。
大量のハズレ馬券を手元に残し、立ち尽くす私がいた。

気がつくと、横に女がいた。

「第六感なんて、いくつ集まっても、その程度でございます」

「………」

「ご理解いただけましたか?」

「あの、さっきの10000円」

「返金はお受けいたしません」

 

 

みなさま読んでくださってありがとうございました。