デートは吉原で行え。?好意の返報性
突然ですがあなたは、イタリアの詩人ペトラルカの、こんな言葉をご存じでしょうか。
「 どんなに愛しているかを話すことができるのは、
すこしも愛してないからである。 」
なかなかに趣深い言葉です。
でもこれ、本当なんでしょうか。
こんばんは、ゆうきゆうです。今夜もメルマガから、こんな話を。
僕、ケンタッキーフライドチキンが好きなんです。
でも、行くたびに、悲しい気持ちになるんです。
カーネル・サンダースおじさんっていますよね。
あのチキンのレシピを作った、人形になってるおじさんです。
あの人、レシピを作った直後、研究室でスパイたちに脅されたんです。
「このレシピを俺たちに渡さないと、お前の命はないぞ!」って。
でもカーネルおじさんは、勇気を持って、それを拒否した。
その結果、彼は殺されてしまった。
でもそのおかげで、彼のレシピは奪われず、僕たちはこうしておいしくチキン
を食べることができる…。
僕が、小学生時代に作った妄想です。
スパイうんぬんとか、いかにも小学生が考えそうです。
さらに僕、この妄想をいつのまにか「真実」として勝手に記憶していたから始
末に負えません。
数年前にじっくり考えて、はじめて「そんなワケない」ということに気がつき
ました。
ただ、理性では「妄想だ」と分かっても、感情がその切ないドラマを強く覚え
ているため、つい悲しくなってしまうのです。
街中のケンタッキーで、涙ぐみながらチキンを食べている人間がいたら、僕だ
と思ってください。たぶん違います。
自分でも話の落としどころが分からなくなりつつも、今夜もセクシー心理学の
世界をお届けいたします。
◆ どんなに愛しているかを話すことができるのは。
さて、冒頭の、
「 どんなに愛しているかを話すことができるのは、
すこしも愛してないからである。 」
という言葉。
これは果たして、本当なのか。
実際に「食事」で考えてみましょう。
「美味しんぼ」などのグルメマンガでは、何かを食べるたびに、大量の言葉を
しゃべりはじめます。
「なんておいしい! ヒラメがシャッキリポンと、舌の上で踊るわ!」
「すばらしい! 後味がさわやかで、高原に吹き抜ける風のようだ!」
「うまい…! まるで乙女の指のように透き通った味…!」
こういう表現を聞くたびに、「いや、本当においしいと思ってないだろ」と感
じていました。
特に乙女の指が透き通った味なのかどうかは、人によるような気がします。
実際に脳レベルで考えますと。
こういう「味わい」を感じるのは、イメージを司る右脳。
しかし言葉を作り出すのは、論理を司る左脳だとされています。
担当している部位が別ですから、二つが同時に働くのは至難の業。
すなわち本当に右脳でおいしいと感じていたら、無言になってしまうか、「す
ごい…」くらいしか言えない方が、よほど自然なのです。
そう考えてみると、
「 どんなに愛しているかを話すことができるのは、
すこしも愛してないからである。 」
というのは、真実のように思えます。
たとえば、大好きな芸能人や有名人、もしくは心から愛している人と一緒にい
ることができたら、たいていはパニクってしまい、気の利いた言葉なんて言え
ないはず。
そしてそれは、
「いやぁ、嬉しいなぁ、こんなに好きな○○さんと一緒にいられるなんて!」
とペラペラ話す人より、よっぽど真実味があるかもしれません。
でも。
だからといって、ひたすら無言なグルメマンガが、売れるでしょうか。
確かに不自然であることは重々承知ですが、それでも読者に伝えたいなら、と
にかく「話さないとダメ」なのです。
同じように、本気で相手を好きで、口説きたいと思うのなら。
それでも、「どんなに愛しているか」を伝えないといけないのです。
◆ 好きと言われたから、好き。
こんな心理実験があります。
男性をAとBの2グループに分けて、ある女性から、
A「あなたは、すごく素敵な人ですね」
B「あなたは、あまり良くない人ですね」
と言わせます。
そして男性たちに、「この女性をどう思いますか?」と聞いたところ、Aの方
が、好感度が高くなったのです。
想像通りの結果ですね。
よほどのMは、Bの場合で好感度が高くなりそうですが、それは基本的に例外
です。
心理学では「好意の返報性」というものがあります。
快感。喜び。幸せ。
こういう好意全般を与えられると、嬉しくなって、つい相手に対しても好意を
返したくなってしまうものなのです。
「なぜ愛しているかの説明」というのも、それに通じます。
「あなたがステキだから」
「とてもキレイだから」
「優しいところが大好きだから」
「あなたのお仕事、心からスゴイと思うんです…」
こんな風に言われたら、相手は嬉しく感じるでしょう。
言うまでもなく、好意を返したくなります。
これこそが「口説き」です。
本気で相手のことを好きなら。
そして相手に、自分のことも愛してほしいと思うのなら。
とにかく「言葉」で、相手を幸せにする必要があるのです。
ですのでさっきの名言を少し修正するなら、
「本当に愛しているなら、どんなに愛しているかを言えなくて当然だ。
しかしそれでも言うことが、愛されるために必要なんだ。」
となるわけです。
◆ 要求は、好意ではない。
間違えられると困るのですが、
「つきあってほしい!」
「愛してます!」
というのは、単なる「要求」です。
「だから、心や体などをよこせ」と言うのと変わりません。
「金払え」という人間が好かれないのと同じように、決して愛されませんので
注意してください。
また、ありがちなのは、とにかく「自己アピール」をする人。
「俺はこんな仕事をしてる!」
「私はこんなすごいことをやったの!」
これは結果的に、「だから、こんな自分と一緒にいられる君は幸せだよ」とい
う形で、快感を与えようとしているわけです。
でもそれは、あまりに回りくどく、通用することはほとんどないでしょう。
というか、本当にすごい人は自己アピールなんてしませんから、かえって「自
分はダメである」と言っているのと変わりません。逆効果です。
◆ デートは気分をよくさせること。
すなわち、告白にたいして、
「まだあなたのこと、よく知らないし」
「突然に告白されても困る」
と言われるなら、直訳するなら、
「てめぇまだ私のこと気持ちよくさせてねぇのに、要求だけするんじゃねぇよ」
「金も払わないで商品もらおうなんて甘いんだよ」
ということになります。
とにかく「要求」よりも前に、相手に「快感」というお金を払うこと。
すなわちデートというのは、「相手に幸せを与えるための時間」です。
1時間なら1時間。
2時間なら2時間。
与えられた時間をフルに使って、相手を気分よくさせること。
そのためだけの時間です。
告白というのは、「好きだ」ということではなく、「なぜ好きか」を説明する
行為。
そしてそれを通して、相手を気分よくさせるという行動のことなのです。
では、そのためにいったい、どうすればいいのでしょうか?
その答えは、次週の更新で!
次回「吉原炎上」をご期待下さい!
(つづく)
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