「だったら、もういいや。」批判されたときの、最高の対応策。

あなたは、否定・批判されたことって、ありますでしょうか。

今年最後のセクシー心理学は、そんなときに役立つ考え方についてお教えします。

こんばんは。ゆうきゆうです。

現在、「マンガで分かる心療内科」というマンガを作っているわけですが。

http://yucl.net/manga

こちら、ヤングキングという漫画誌で連載が決定いたしました。そのため1月以降は、もしかして月イチ更新ができるかもしれません。

シメキリがあると頑張れる人間のようです。自分。

それはそれとして、なのですが。

僕、自分で考えたギャグのネタが、すでにどこかで誰かが使っていないかとか、すごく心配になっちゃうんです。

いや、自分で考えたのにパクリとか言われるのも切ないですし。
またすでに誰かが作ったネタなら、自分の思考自体が、世の中的に何の意味もないことになるわけで、それはそれで切ない気がしますし。

ほら、電話がすでに発明されているのに、新たに電話をゼロから発明するみたいな。世界への貢献的にも、何の意味もないような。

うん。
ギャグ一つで何を言ってるんだ、という話なんですが。

で、それを避けるために、何かのネタを思いついたら、ネットでとりあえず検索してみるんです。

最近考えたのが、こんなネタです。

-----------------------------------

あすな「そんなことしても、焼け石に尿じゃないですか?」

療「水だよ! 尿だと目にムァッと来ちゃうだろ!」
-----------------------------------

………。

うん。
何て言うか、本当にこんなネタばっかりですみません。

こんなネタを電話にたとえられても、とか思うと思うんですけども。

で、かぶってないか、ネットで検索したんです。

もちろん検索ワードは「焼け石に尿」で。

こんな検索でも、優しく結果を出してくれるグーグルが本当に素晴らしいと思います。

たぶんネットのない時代だったら…

ユウ「秘書の麗子クン、僕の思案したネタが使われていなひか、帝國図書館で調べて来てくれなひかね」

秘書「よろしひですわ先生、どんなネタですか?」

ユウ「焼け石に尿」

秘書「………」

たぶん秘書、一発で辞めると思います。
本当に文明の進歩って素晴らしい。

で、まぁ。
話戻すんですけど。

とにかく「焼け石に尿」で検索したところ。

トップに、
https://sinri.net/comicblog/403.html
コレが出てきました。

………。

うん。
半年前に、自分で書いたネタでした。

自分で半年前に発明してた。
それを忘れてまた発明した。

何ていうか、このネタにどんなコンプレックスがあるのか。
自分で自分が分かりません。

2009年は焼け石に尿な一年だったと思って差し支えないと思います。

ちなみにネット検索してネタがかぶっていた場合、そこでの「使われ方」を見た上で、「自分の書き方のほうが面白くできそう!」と思った場合は、もちろん気にせず使います。はい。

じゃあ何のために検索するんだ、という。

いずれにしても、尿を貫き通す自分のようです。

人として間違っていることを年末になっても感じつつも、今夜もセクシー心理学の世界をお届けいたします。

さてあなたは、否定・批判されたことって、ありますでしょうか。

今夜は、そんなときに役立つ考え方についてお教えします。

◆ 否定や批判、もちろん、あります。

さて自分自身、ネットで色々と書いてから、すでにもう何年もたっているわけですけども。

それだけ書いていると、やはりというか何というか、否定・批判されてしまうこともあります。

「キズついた!」
「不愉快だ!」

とかでしょうか。

いえ、もちろん、プラスのご意見はそれ以上にいただいてはきたのですが。

それでも、時に1つでもマイナスな意見があると、たとえ10のプラスの意見をいただいていても、ついネガティブな方ばかり、記憶に残ってしまうものです。
これ、何かを書いたことがある方なら、分かっていただけるのではないでしょうか。

人間、やはりネガティブな記憶や感情の方が、ずっとインパクトが強いものです。

◆ 自分のメインの部分だけは。

こんなとき。
僕がたった一つだけ、実践してきたことがあります。

それこそが、「謝らない」ということ。

いえ、どうでもいいことには、いくらでも謝ります。
いくらでも譲ります。

それこそ表現のしかたを変えるだけで済むのなら、いくらでもやります。

たとえば少し前まで、僕はよく「さりげに」「なにげに」という言葉を使っていたんですが。

それにたいして、

「自然な日本語ではない!」
「間違った使い方だ!」

というご意見をいただいたことがありました。

個人的には、このレベルのことは別に「どーでもいい」ので、そういう気にする人がいるのなら、あえて使うこともないのかな、と思って、使わなくしたりしました。

もちろん他にも、表現において、無意味に
「イヤな気分になった!」
「キズつけられた!」
と感じる人がいるのなら、なるべくそういう表現は使わないようにしてきました。

しかし、です。
せいぜいそこで譲れるのは、細かい表現レベルです。

「話そのもの」を否定された場合は、もう「聞く耳を持たない」を貫いてきました。
子供が、耳をふさぎながら「あーあーあー」みたいな。
そんな感じです。

以前に「嚢中の錐」という話をしましたが、この「細かい表現を変える」程度は「フクロ」であると思っています。

どんなフクロに包んでも、真っ直ぐな主張さえすれば、必ずそれは人に伝わる…。僕はそう思って来ました。

ただ。
この「主張」こと、キリの部分だけは、決して変えてはいけないと思っています。

運転でたとえてもいいかもしれません。

ガードレールにぶつかりそうになるのなら、もちろん、ぶつからないようにハンドルを切ります。

こういう、「ハンドルを切る」とか、「少しだけ軌道修正」するとかなら、いくらでもしてきました。

しかし。

「目的地そのものを変えたり、車そのものを止めたりすることは、決してしない」

ということを貫いてきました。

これ、あなた自身が否定・批判された場合に、知っておくと、少しラクになるのかな、と思います。

◆ だったら、もういいや。

誰かに批判されたときの、考え方はこうです。

この人が怒るなら、多少の表現くらいは変えてあげよう。
細かい部分は、いくらでも譲ってあげよう。

しかし、それでも怒るのなら、もうその人は、何をしたとしても、絶対に許してはくれないだろう。

だったら、もういいや。

それなら徹底的に、やってしまおう。

この、切り替えた瞬間の気持ち、すごく快感なのです。
いえ、悪い意味でとらえないでほしいんですけど。

「だったら、もういいや。」

これ、この世の中を生き抜いていく上で、一番大切なことだと思います。

考え方はシンプルです。

この相手は、人の土俵に来て、これだけ

「否定したい!」
「自分の言いたいことを言いたい! 我を通したい!」

という欲求に素直に従っている。

だったら。

自分だって同じく、「自分の道を全力で進み続ける」ということを、貫いてやる…!

それこそが、最大の礼儀なのではないでしょうか。

逆に相手が本気を出しているのに、自分だけが本気を出さず、相手に追従するのは、かえって失礼だと思います。

実際。

これをやってみると、実のところ、相手というのはそこまで「本気」ではないので、あなたの本気を目にして、恐れてもしくは飽きて去っていきます。

逆にあなたが弱腰になると、かえって調子に乗ることもあるでしょう。

◆ スルーだけでもOKです。

もちろん、「否定されたのに、さらに頑張るなんて、できないよ…!」と思うこともあるかもしれません。

そんなときは、「スルーする」だけでもいいのです。

いえ、人の意見を無視しろとか、そういうことを言うわけではありません。

ただ、

「マイナスの意見すべてを受け入れる必要はない」
「特にたまには、『だったら、もういいや』と考えてもいい」。

この考え方を、あなたにも知ってほしいのです。

人間、世界中に60億人もいれば、完全にわかり合えない人がいたっていいのです。
全員、話せばわかり合えるなんて錯覚です。

もちろん一部一部、共感できる部分はありますが、「完全理解」「完全共感」なんて不可能です。

ですのでとにかく「無視してもいい」と考えることが大切なのです。

言ってみれば、たとえばこういう主張にたいして、

「マイナスの意見を黙殺してもいいって言うのか!」

と怒ってくる人がいたら、やはりそれに関しても、

「そういう意図がメインではないのに、そこだけを切り取って否定してくるのなら、もうこの意見は、いいや」

と考えることが大切なわけです。

全部の人にあますところなく理解してもらうことは「無理」です。
また、全員一人残らず共感してもらうことも「不可能」です。

その一つの意見に、あまりにとらわれて、あなたの人生を削るのは何の意味もありません。

街中にあるすべての募金箱にお金を入れられないのと同じように、
「僕の批判を聞いてほしい!」
「私に構ってほしい!」
という、すべての人やすべての意見を、100%受け入れることはできないのです。

自分自身、メンタルクリニックをやっているわけですが。

もちろん、自分のクリニックに来た患者さんなら、全力で話を聞きます。
しかし街を歩いて、すべての人の話を聞くことはできません。

無限のボランティアは、仕事そのものをおろそかにすることにつながります。

あなたも何かを表現するのなら、それを喜んでくれている人にたいして、もっと喜ばせるためにさらに表現を続けることこそが「仕事」です。

一つや二つの否定や批判の相手をするのは、「ボランティア」です。

決して、ボランティアで仕事を忘れることがないようにしてください。

繰り返します。

マイナスの意見、マイナスのできごとに当たったのなら…。
まず一段階は、譲歩したり、軌道修正をするのもいいでしょう。

しかしそれ以上に関しては「もう、いいや」と考えることです。

-----------------------------------
◆ 今回のまとめ。
-----------------------------------

○ マイナスな意見やできごとを前にしたとき、「軌道修正」くらいなら、してもいい。

○ しかし、進むことをやめては絶対にダメ。

○ 軌道修正でも相手が批判や否定を変えないなら、
「だったらもう、いいや」と考えること。

◆ さいごに。

かの哲学者プラトンは、こんな言葉を残しました。

「自分は、確実に成功するための方法は知らない。
しかし、確実に失敗する方法なら知っている。
それは、すべての人に好かれようとすることだ。」

否定や批判を受け入れることが大切…。

それは綺麗ごとです。
それができるなら、最初から誰も悩みません。

僕はあえて言います。

あなたが全力を尽くして、それでも分かってくれない人がいるのなら。
それでも伝わらないことがあるのなら。

「もう、いいや」と思って、先を見ることです。

いい意味で、あきらめてください。

マイナスな情報、マイナスな意見に、振り回される必要はないんです。

あなたのことを、楽しみにしている人や、待っている人のことを、忘れないでくださいね。

(完)

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

いや、別に最近、否定的な意見が届いたとか、それでショックを受けてるとか、そういうのではまったくないのでご安心ください。

純粋に、今までずーっと感じてきたことを述べただけですので。はい。

ちなみにバスト方面に関しては突き進みすぎてる気がします。
もうどこにたどり着くのか。

いずれにしても、今年もここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。