『精子物語』 http://sinri.net/b.htm
原作者 大和まや ゆうきゆう
全3ページ。10分ほどで読み終われる短い話です。
<序章> 語り マヤ
では、質問。
あなたはすごく昔、どんな存在だったか知っている?
子ども? 赤ちゃん? 胎児?
いえいえ、そのずーーーーーーーっと前。
知らないとは言わせない。
あなたは一匹の「精子」だったのよ。
あなたも小錦もモーニング娘も、どんな人間だって、元を正せば、「アリンコ」よりもずうっと小さい、一匹の「精子」。
そんなちっこいちっこい単細胞生物が、ここまで複雑な体に成長しちゃうんだから、これは確かにスゴいことよね。
その上、精子は、もんんんのすごい数がいるの。
これは、私がむかぁし、子供科学相談室か何かで読んだ記事の再現。
「人の男子の精巣では1日約5千万〜数億個ずつの精子が作られます。
しかし、全部が受精卵になれるわけではありません。
受精できるのは、そのうちたったひとつだけなのです。
日本人は1億人以上いますから、その中で「ひとりだけの優勝者」を決めるようなもの。
そう考えると、あなたの命は、とても貴重であることが分かりませんか?」
確かに、そう言われると、すごいことのように感じるよね。
でも…。
でもよ?
今、あなたはこの話を読んで、どう思った?
「あぁ、そう。だから何?」
なんじゃないかな。
今時、どんな悩み相談でも、このフレーズで励まされる人はいないわ。
それはナゼか?
答えは簡単。いくら1億だ1兆だ言われても、あまりに今の生活からかけ離れすぎてて、
現実感が全くないからよ。
精子の時代に意識があったのならまだしも、あなたは気付いたら生まれていた。
それがどんな確率であれ、「努力」があるからこそ、「成果」に喜べる。
そう。現代人の疲れきった心に対して、上に述べたような「精子理論」は、
何の癒しにもならないのよ。
だから。私はあえて言おう。
「精子の世界は、そんなモンじゃない!」
精子の世界は、いくら数を並べたってその本質をあらわすことは出来ない。
あなたは「精子」ってどんなモノか、知ってる?
DNAが入ってる丸い核に、泳ぐための足がついただけの細胞。
本当に、「必要最小限」。
パスポートと片道の航空券だけ持って、海外行くようなもんよ?
お腹が減ったら死ぬし、寝ても死ぬ。もちろん、帰ってくることは出来ない。
寿命なんて、Y精子がせいぜい1日、X精子も長くて3日。
生きるか死ぬか。それしかない一本道。
精子には、何の保証もない。権利もない。
今の私たちに、それが想像できる!?
そう。今、私は断言する。
この現代だからこそ、今一度あなたは、「精子の気持ちになるべきだ」、と。
さあ、今から皆さんに、一つの物語を聞かせましょう…。
その物語こそ、その名も「精子物語」。
それでは、ごゆるりとお楽しみ下さい……。
★ 「第1章〜はじまり」
つらい。イヤだ。もう、やってられない。
生まれてから18年。
いじめ、失恋、そして受験の失敗…。
人生、後悔の連続だったボクは、ふと通販で、あるモノを買ってしまった。
それは…「人生やり直し機」。
半信半疑ながら、届いた当日、ボクは説明書を読んだ。
「赤いボタンを押すだけで、人生をやり直せます」。
あまりにも単純な説明。ボクは震える手で、赤いボタンに手を掛けた。
どんな風にやり直しても、今以上に悪くなることは、絶対にないだろう…。
ボクは意を決して、ボタンを押した。
すると、すさまじい轟音と共に、あたりが一瞬のうちに闇に包まれた。
気づくと、まわりは真っ白だった。
…戻った? 本当に!?
っても、いつの時代なんだよ、ここは…?
ボクは目を凝らして、周囲をよく見た。
…違う。真っ白なんじゃ、ない。
ボクは、思わず目を疑った。
あたり一面にあふれ返る、白くて丸い、オタマジャクシのような物体。
狭い空間の中に、今まで目にした事のないほどのそれが溢れかえっていた。
そして…恐るべきことに…。
ボクも、彼らと全く同じ姿だった。
★ 「第2章〜こうかい」
…時が止まる。
まさか…まさか。
ボクは…ボクは……精子にまで、戻ってしまったんじゃ……。
あまりの出来事に、ボクは言葉を失った。
ケイ「よ、誕生おめでとう」
その時、一つの声が聞こえた。見ると、一匹の精子が、こちらを向いている。
ボク「だ…だれ? ボク…」
ケイ「はじめまして、だな。俺は、親父の通算887400963741番目の精子。
通称、ケイだ。よろしくな、通算887400998879番目くん」
ボク「あ、ボク…ボク…」
ケイ「おいおい、落ち着けよ。そうだな…君のことは…「ボク」とでも呼ぼうか」
ボク「…は? ちょっ…ちょっと待ってよ…ボクにはちゃんとした名前が…」
ケイ「精子に、名前なんかねーよ」
ボク「で…でも…」
ケイ「俺は生まれて6時間目だからな。君より先輩だ。分からないことがあったら、何でも聞きな」
ボク「あ、あの…じゃあ…」
その時、辺りで急にざわめきが起こった。
ケイ「おい、またかよぉ!!」
ケイさんはそちらに向かって、走り出す。ボクも慌てて後を追った。
周りの精子の群集をかきわけていくと、そこでは一匹のしなびた精子が倒れていた。
ケイ「おい、887300008749番目のじいさん! じいさん!?」
その精子からは、返答はない。
ケイ「…死んだ…」
すると、ざわめいていた観衆が、一匹二匹と離れていった。
ケイ「行くぞ、ボク」
ボク「ちょっ…ちょっと待ってよ、ケイさん! 放っておくの?」
ケイ「そうだ。じいさんは生まれて36時間。1日半だ…長生きした方なんだよ」
ボク「そんなヒドい! それに皆だって…」
その瞬間、ケイさんはボクの胸をつかんで、こういった。
ケイ「いいか、小僧!? 俺らは何のためにいるんだ!!」
ボク「ら…卵子と、くっつくためなんでしょ?」
ケイ「そうだ!! それだけなんだよ、俺たちは!!」
ケイさんの鬼気迫る迫力に、ボクは言葉を失った。
ケイ「ここでは1日に何千万、何億もの精子が生まれては死んでいく!
そして俺たち、Y精子の寿命は約24時間だ。発射されるだけでも幸せだ…。
この、親父のタマの中だけで一生終えちまうことだってある…あのじいさんみたいにな。
悲しむ? そんなのは偽善だ。みんなライバルなんだよ!」
ボクは、何も言えなかった。ケイさんの意志が、強く強く伝わってきた。
ケイ「ボク…。余計なことは考えるな。ただ、発射のときのために、体力だけ蓄えとけ。
…もっとも、発射されるかどうかも分からんがな…」
ケイさんの言葉の一つ一つが、ボクの心に深く染み込んでいった。
★ 「第3章〜じかん」
それから、どのくらいの時間がたっただろう。
牢獄の中の時間も、こんな風に感じられるのだろうか。
何もすることがなく…何も感じることもなく…
ただ、時を溶かしていくだけ。
ケイ「さっきから…ちょうど6時間だ…」
ボクは、何も答える気力がなかった。
ケイ「俺は、生まれて12時間目だ…。すなわち、あと半日で発射が起こらなければ、俺は死ぬ」
ボク「……」
そう。ボクの命も、あと18時間だ。
…まともに考えると、気が狂いそうになる。
ボクは、思考を放棄した。
ボク「もう、どうでもいいや…」
ふと、口に出してしまう。そう、全てが、どうでもいい。
ケイ「何だって?」
ボク「…ダメなんだよね。何をやっても…。これが運命なんだ…。昔から、そう…」
ケイ「はぁ!?」
ケイさんが、怒りを露にする。
ケイ「て、てめぇ、バカやろぉ!! んなこと…」
その瞬間。
耳をつんざくような轟音と共に、大きな激流が、ボクたちを飲み込んだ。
★ 「第4章〜いいわけ」
ケイ「お、おいおい、マジかよ!?」
ボク「な、何なの?」
ケイ「は…発射だよ、発射!!! ジ…ジーザス!!!」
本来なら、大喜びで迎えなければいけない、その瞬間。
ボクは絶望を感じていた。
辺りの精子が、狂ったような歓声を上げながら、光の見えるほうに泳ぎ始める。
この中で、1番になる!?
…出来るわけがない。小学校でも、中学校でも。何をやっても、ビリから数えた方が早かった、このボクが!?
ケイ「俺らも行くぞ!!!」
しかし、ボクは動かない。
ケイ「おい、ボク!? ボク!!」
発射なんて起こらないほうが、よっぽど気が楽だったのに。
ボク「言い訳すら、させてくれないんだ…」
ケイ「何わけわかんねーこと言ってるんだよ!! 早く来いってば!!」
ボク「行ってよ、ケイさん」
ケイ「…ちっ…ちくしょー!!!! 行っちまうぞ、俺はー!!」
ケイさんはそういうと、あっという間に遥か彼方に行ってしまった。
そう…ボクは、いいんだ。
まわりは、すさまじい勢いで、精子たちが駆け抜けていく。
腰を下ろしながら、それを眺める。
その瞬間、ボクの頭に一つの記憶が浮かんだ。
★ 「第5章〜けつだん」
この光景は…どこかで見た記憶がある。
「たすけてー!! おかあさーん! おとうさーん!!!」
あれは…確か…幼稚園の時だ…。
両親と一緒にデパートに買い物に来て、ビル火災に巻き込まれた…。
出口に向かって、狂ったように走り出す群集。
ボクは、小さい頭で、「死」というものを考えた。
…そんな時だった。
「こっちよ!!!」
父さんと母さんは、ボクの体を強く強く抱きしめながら、走っていた。
その両腕に抱かれながら、ボクは、大きな安心を感じていた。
…そして、やっと外に出た後。両親は、腕に大きな火傷を負いながら、
ボクの顔を見て、涙を流しながら、言った。
「良かった…」
あの時の笑顔が、強く頭に浮かぶ。
ボクという存在に対して、心の底から向けられていた、愛。
ボクは、取り返しのつかない過ちをするところだった。
気づくと、ボクは全部の力で、泳ぎ始めていた。
生きたい。
生きたい。
生きたい!!!!!
ボクは、生きる。
もう一度、父さんと母さんの顔を見るまで…
死ぬわけには、いかないんだ。
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